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とらとら遊び [文化]

京都祇園の舞妓遊び(とらとら遊び)
おばあちゃん。清正。とら。とらはおばあちゃんより強い。おばあちゃんは清正より強い。清正はとらよりも強い。おばあちゃんは腰をかがめ杖を突いている姿を真似る。清正は槍をつく姿を真似る。とらは四つんばいになりトラの姿を真似る。ふすまか、何かの陰に隠れ、互いに出てきて勝ち負けを決める遊び。


四川料理 [文化]

四川料理のメモ
マァは山椒のしびれ。ラァは唐辛子の辛味。ティエンは砂糖の甘味。シェンは塩味。ソワンは酢の酸味。ゥは八角、桂皮などの苦味。シェンは大蒜(ニンニク)、生姜などの香味。

食料に関するメモ
中国アメリカオーストラリアに食料を依存していることは、食糧という生存権を3大国に握られていることと同じである。

経済のメモ
預金貸出という伝統的なコマーシャルバンキングには限界がある。アメリカではインベストバンキングである。株主によるガバナンスの考え方を伝道する。
グリーンメイラーとは、買い集めた株を高値で引き取らす要求を書いた手紙をグリーンメールといい、そのことを生業にしている者のことを言う。これはドル紙幣の色からきているものである。ちなみに脅迫状はブラックメールと言う。

子育てのメモ
何でも与えると子供はダメになる。

音楽のメモ
モーツアルトのセレナード第13番ト長調K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

そばのメモ
更科そばは色が白い。田舎そばはそば粉8割小麦粉2割。そばはうどんに比べると腹持ちがいい。100グラムあたりの植物繊維うどんは0.8グラムそばは2.0グラム。

江戸時代の陶芸家 尾形乾山(けんざん) 日本画家 上村松園、伊藤深水、竹内栖鳥(せいほう)、中村大三郎。


会席料理 [文化]

会席料理は、江戸時代に俳句や連歌の会で、食事を楽しんだのが始まりと言われている。おもに料亭に人が寄り合って食べるコース料理をさしている。

点心は、禅寺で昼食と夕食の間に食べる空腹しのぎの食事。昼食やお茶請けとなる軽めの料理をさすようになった。

松花堂とは、石清水八幡宮の社僧松花堂昭乗のことである。松花堂が絵具入れやお茶会の煙草盆として使っていた箱があり、それにヒントを得た料亭「吉兆」の創業者湯木貞一氏が料理用に開発したものである。縁が高い四方の蓋つき箱で、中が十字に仕切られているので、お造り、煮物、焼物、ご飯などを分けて盛り付けると味や香りが移らないので、美味しく料理を楽しむことが出来る。


懐石 [文化]

蓬莱飾りとは、三方に米、熨斗鮑(のしあわび)、伊勢海老、勝栗、昆布、ほんだわら、串柿、裏白、橙などの縁起物をのせた正月飾り。

縁起物に込められた願い。
黒豆は、まめ(勤勉)に働き、まめ(健康)に過ごせるように。
数の子は、ニシンの卵。子孫繁栄を祈願。
ごまめは、片口いわしの稚魚。畑の肥料(田作り)だったので、豊年万作を祈願。
慈姑は、一つの根から毎年大きな芽が出るので、出世を祈願。
蓮根は、先が見通せる。
海老は、ひげが長く背が曲がっているので、長寿を祈願。

懐石。茶道におけるおもてなし「茶事(ちゃじ)」のなかで、お茶をたてる前に供する料理をいう。「懐石」の名前は、禅寺で修行している僧が温かい石を懐に入れて、空腹を紛らわせたことからきている。その程度の軽い食事という意味からきている。従って、懐石は本来、豪華な高級料理ではない。
折敷(おしき)右に汁椀、左に飯椀、真ん中上の三角形の頂点には向付(むこうづけ)(最初の酒の肴)。
煮物椀・椀盛は椀だねを入れて、すまし汁を張った吸い物で懐石のメインディシュ。
焼き魚。ここまでが「一汁一菜」という。
預鉢(あずけばち)・炊き合せ。強肴(しいざかな)。箸洗(はしあらい)・小吸物(こずいもの)。八寸(はっすん)(酒の肴。山の幸、海の幸の取る合せ。器が八寸(約24センチ)角の木地であることから呼ばれている。)


硯石 [文化]

宮城県石巻市雄勝町は、勝石と呼ばれる粘板岩の産出により硯石の生産で有名である。2億3000万年前に海底に堆積した泥が石になったものが雄勝石である。黒色の優雅な美しさから女性の髪の毛に例えられることもある。雄勝石で作られる硯石の生産は全国の9割を占めている。「雄勝硯」と呼ばれる硯石は、600年前の室町時代から作られている伝統工芸品である。薄く裂けるように割れる石の特徴を生かし、屋根などの建築資材にも使われている。最近は雄勝石を使った食器もある。


農耕文化 [文化]

福島県八溝山に端を発する久慈川の流域には、古くから農耕文化が開け農作信仰を伴ったいくつかの都々古別系の神社が祭られている。御田植祭は、その一社である八槻都々古別神社御田植祭保存会により現在に伝承されている。平成16年国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。神官に扮した衣装で、鈴を右手、左手には御幣を持ち、笛と太鼓の拍子に合せて二人で舞を踊る。次に白装束に狐の面をかぶり、紅色に金糸を織り込んだ半纏を羽織鈴と御幣を持って踊る。なんとも奇妙な踊りだ。


地勢 [文化]

漁村は江戸期もそれ以前も、浦、浦方と呼ばれていた。はるか昔の律令制の時代から、日本はコメ中心の経済であった。農村は在・在所・在方と呼ばれ、農村に基盤を置いた経済機構が出来上がり、浦方を粗略に扱ってきた。なぜかと言えば、浦方では一般的にコメが取れなかったためである。在所(農村)が浦方(漁村)を馬鹿にするふうがうまれた。今も意識のどこかで根づいている。淡路島。


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